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辛うじて建物は残ったものの

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姪さんは、この町営住宅の3階に住んでいました。地震のあと、旦那さんは幼稚園に子供を迎えに行って、姪さんを車に乗せて高台へ向かったものの、すぐに渋滞で動かなくなり、対向車線を逆走して、途中で日本製紙の社宅の敷地に招き入れられて逃げられたと。あと3分遅かったら津波に巻き込まれてたそうです。車列は波に飲み込まれて、人がのった車がたくさん川に流されたそうな。だから、川に沈んでいる車を引き上げるとたくさん行方不明者がみつかるだろうと言ってました。地震がきてから津波がくるまで30分ほど時間があったそうで。それから津波がやってきて、3箇所ぐらいで火の手が上がって、3日間燃え続けたと。とうとう高台のほうまで延焼しそうなころに消防がやってきて、消火して終了。消防車も水もないのでそれが精一杯。

3階は少し水に浸かったぐらいで済んだものの、そのあと泥棒が入って、ベランダの壁を突き破って全部の家から金品を盗んでいった。火事場泥棒ってやつです。ほんと悪いやつもいるもんです。絶対バチがあたるね。

この映像は、このGoogleMapのストリートビューポイント(正確には資材センターの駐車場の角なんだけど)から見たものです。陸側に向かってずっと水が溜まってます。駐車場には自衛隊が結集してまして、ユンボに数人の自衛官が乗っかって、水の中を進んでいきました。きっと行方不明者を探しに行ったのだと思います。ほんと、自衛隊って頼もしい。

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この綺麗に片付けられた道路。最初は瓦礫が散乱して車が通れなかったけど、自衛隊が片付けてくれたそうです。避難所の校庭にはタイヤがパンクして動けない車が何台かありました。きっと瓦礫に混じった釘を踏んだんでしょう。

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遠くに見える燃えた建物。姪さんの子供はこの春あそこに通う予定でした。隣にお墓があるんですが墓石は倒れていません。だから地震の被害はあまりなったようで、被害のほとんどは津波です。

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テレビで避難所にはたくさんの物資が届いて、食べる物には苦労してなさそうな報道がされてますが、石巻中学はあまり恵まれていないのか、配給といっても賞味期限切れギリギリの固くなったオニギリとかパンぐらいしか配られないそうで。そんな中、右翼の人たちはトラックで校庭に乗り付けて、ドドーっと物資を下ろして「すきなだけもってけー!」と気前がいいそうです。姪さんが着ていた服も右翼の人たちからもらったものでした。うるさいだけかと思ったらいいこともしているんですね。
この日は、神奈川?(相模ナンバーのレンタカー)から炊き出し部隊が着てました。校内放送で「きょうは炊き出しがあるので配給は行いません」と流れていた。

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こんな大変な環境なのに、ゴミは分別しているところがなんとも。正直のところ、避難所はトイレの匂いが漂い決して清潔そうでもないです。水道がこないので、朝のトイレではウンチを流すためにバケツに1杯水を汲んで入っていきます。子供・年寄りのいる家族から優先的に教室が割り当てられ、あぶれた人たちは体育館が生活の場でした。床にダンボール1枚、その上に毛布1枚、それが居間でもあり寝床でもあります。
教室には石油ストーブがあるんだけど、つけるのは朝夕の寒い時だけ。日中はストップして灯油節約。夜7時には消灯。もっとも最初のころはすることもなく6時で真っ暗だったので6時消灯だったそうです。

もう並ぶのには慣れっこになってしまったと。この数日でガソリンが手に入るようになったけど、朝の3時にならんで、「おお、こんなに近くに並べた」と思ったら、それはぐるっと町内を一周して戻ってきた列で、ガソリンが手に入ったのは昼の12時。それでも3000円ぶんしかいれらない。買い物も店に入るのに6時間、レジに並んで2時間。そんな調子だそうです。

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金曜の夜中にいって土曜の夜に帰ってきた強行軍でした。もし石巻にいくなら東北自動車道から仙台北部道路を通ったほうが道が凸凹少なくていいです。仙台南部道路は震源地に近いせいか、かなり段差があります。仙台南部道路の右手には名取川があり、そこを津波が遡上したらしく、あたり一面瓦礫が散乱して結構被害がでてました。高速道路が堤防の役目を果たし、道路の右と左では天国と地獄です。

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